大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成5年(わ)1207号 判決

主文

被告人を禁錮六月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、平成四年七月二六日施行の第一六回参議院議員通常選挙に際し、愛知県選挙区から立候補して当選したものであるが、自己に当選を得る目的で、

第一  平成三年七月下旬ころ、名古屋市中区《番地略》名古屋中小企業福祉会館内民社党愛知県連合会(以下、「県連」という。)事務所において、県連職員Bに対し、それが後に経歴書や選挙公報等の内容となつて前記選挙のために公にされるものであることの認識を有しながら、自己の学歴について、明治大学に入学した事実がないのに、昭和二八年三月に高校を卒業して、同年四月に明治大学に入学し、昭和三〇年に明治大学を中退した旨、虚偽の事実を述べ、更に、同年八月下旬ころ、県連事務所において、Bから、同人が被告人の右虚言に基づいて作成した右虚偽の学歴が記載されている「経歴書」と題する文書を見せられ、その内容の確認を求められた際、前同様の認識を有しながら、右虚偽の学歴について何ら訂正等の申立てをせず、これを是認した上、

一  同月三一日、同市千種区《番地略》財団法人日本鉄道厚生事業協会名古屋弥生会館において、前記選挙に立候補することを発表するに当たり、参集した一〇数名の報道関係者に対し、情を知らないBをして、同人が被告人の前記虚言に基づいて作成した「昭和三〇年明治大学中退」との虚偽の学歴が記載されている「経歴書」と題する文書を配布させ、もつて、公職の候補者となろうとする者の経歴に関し虚偽の事項を公表し

二  平成四年七月八日、同市中区三の丸三丁目一番二号愛知県庁内所在の愛知県選挙管理委員会において、同委員会に対して選挙公報の掲載を申請するに当たり、情を知らないBをして、同人が被告人の前記虚言に基づいて作成した「昭和二八年明治大学(政経学部)入学」と虚偽の学歴が記載されている選挙公報の掲載文を提出させ、よつて、同選挙管理委員会係員をして、これを原文のまま選挙公報に掲載させた上、同月中旬ころ、同選挙区内の選挙人の世帯に約二四四万五〇〇〇部を配布させ、もつて、公職の候補者の経歴に関し虚偽の事項を公表し

第二  平成四年七月一六日ころ、同市昭和区《番地略》名古屋市公会堂四階ホールにおいて、同日同所で開催された政談演説会(民社党一区連総決起集会)参集した約七〇〇名余りの聴衆に対し、福祉政策充実を訴えるに当たり、その事実がないのに、「中学生当時、公費の海外留学生に選ばれ、スイスで半年間ボランティアの勉強をした。」旨の演説をし、もつて、公職の候補者の経歴に関し虚偽の事項を公表したものである。

(証拠)《略》

(争点に対する判断)

第一  判示第一の事実について

一  明治大学入学関係

前掲関係各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

1 被告人の明治大学入学及び中退の有無について

(一) 大学「入学」及び「中退」の意義

一般に、私立大学における在学関係は、学生と大学の間の在学契約によつて規律されるところ、昭和二八年当時の明治大学においては、入学願書を提出し、選抜試験を受験した後に、大学からの合格通知を受けた者が、一定期間内に、入学手続書類を作成して、入学金及び所定の書類等を添えて大学に提出することにより、学則に定めた諸手続を完了することとなり、これによつて、在学契約は成立する。また、教育年度の関係から(学校教育法施行規則四四条、七二条一項参照)、学生としての地位を取得するのは、四月一日以降となる。したがつて、在学契約が成立し、四月一日が到来することにより、初めて「入学」という事実が発生すると解される。

ところで、一般社会通念上「入学」という場合には、入学手続を完了した者が通学を開始することを意味する場合が多い。しかしながら、前記の法律関係を考慮するなら、たとえ現実には一日も通学しなくとも、右在学契約の効力が発生し、大学から在籍者として扱われることにより「入学」があつたと認められる場合があるし、仮に三月中に一旦は在学契約が成立していても、三月中に入学辞退の手続きをとつた場合には入学手続取消者として扱われ、「入学」したことにはならないと解されるのである。

また、「中退」とは、在学契約の効力が発生し、かつ、四月一日が到来して一旦入学した者が、これを将来的に解除することを意味するものである。

(二) 被告人の明治大学入学の有無

(1) 被告人及び弁護人は、被告人が、明治大学のいわゆる入学試験を受験したことはなく、通常の手続により大学に入学したものでないことは、争うところではないが、いわゆる有力者推薦入学によつて昭和二八年に明治大学政経学部二部に入学したと主張するので、この点について判断するに、証人Cの当公判廷における供述及び検察事務官作成の捜査報告書(甲79)等によると、明治大学においては、入学者として扱われた者の全氏名が記載され、永久保存書類として保管されている学生原簿及び学生索引簿が存在するが、そのうちの昭和二八年分及びその前後の年度分の全学部につき調査しても、被告人の氏名は全く掲載されていないこと、したがつて、被告人が明治大学において入学者として扱われた事実がないこと、昭和二八年ころの明治大学には、いわゆる入学試験を受験せずに入学できる「有力者推薦入学」制度は存在しなかつたこと等の事実が認められる。これらの事実からすると、被告人の明治大学入学の事実はなかつたと認められる。

(2) なお、被告人の供述等によれば、被告人は昭和二八年三月ころNHK名古屋放送劇団の研究生試験を受験して合格し、同年四月から同劇団の研究生となつたものであること、証人Dの当公判廷における供述及び被告人の叔父である故Eが被告人宛に書いたと認められる昭和二八年三月一九日付けの消印のある郵便はがき(弁13)によれば、被告人は、遅くとも同日より前に大学進学を断念し、NHK放送劇団研究生となる決意をし、このことを右Eに伝えていたこと、更に、被告人の当公判廷における供述等によれば、被告人はそのころ、父Fに対して同旨の決意を伝えていたこと及び明治大学通学のために上京した事実もなければ同大学に一日も通学した事実もないことが認められる。

そうであると、仮に、被告人の父が、入学試験について有力者推薦の便宜を計つてもらうべく行動していたとしても、被告人の進学断念の強い意向を聞いた以上、仲介する有力者に礼を失しないよう、早速その意向を伝えるなどそれなりの対応をし、その結果、三月中には入学辞退の手続きが取られていたと推認されるから、いずれにせよ、四月一日以降の「入学」の事実は認められない。

(三) 結論

以上から、被告人が昭和二八年に明治大学政経学部二部に入学した事実がないのはもとより、昭和三〇年に同大学を中退した事実もないことは明らかである。

2 被告人の大学の学歴についての虚偽性の認識

次の諸点に照らせば、被告人が明治大学に入学したと信じたという事実もないことは明白である。

(一) 前記1(二)(2)記載のとおり、被告人は昭和二八年三月の段階で、既に、NHK名古屋放送劇団に進むこと及び明治大学に進学する意思のないことを決意し、これを同人の父及びEらに伝えており、しかも、一日たりとも明治大学に通学した事実がなく、これらの事実は被告人こそが最もよく知るところであること。

(二) しかるに、被告人は、遅くとも昭和四九年ころ以降、明治大学中退と自称し、その際、「昭和二八年入学と同時にすぐ中退した」旨述べることもあつたが、「明治大学中退」と「昭和三〇年NHK放送劇団入団」とをワンセットにして述べることにより、あたかも二年間大学に通つた後中退したかのように表現し、又はこれらを一つにして「昭和三〇年明治大学中退」と表現するなどしており、かかる小細工的表現を用いてきたこと自体に、学歴詐称の意図が垣間見えるといわざるを得ないこと。

(三) 被告人は、本件選挙直後の平成四年七月二九日早朝に明治大学入学の事実がない旨の新聞報道に接し、民社党側と善後策を協議した際、「受験はしたが、合否の確認や入学手続は父親に任せていたのではつきりしない。」と説明したことが認められるが、これは、その当時被告人自身も明治大学に入学したとは信じていなかつたことを前提にした説明であること。また、それ故にこそ、民社党側も、被告人から学歴について削除の申し入れがあつたが、事務方のミスで削除されないままになつたという善後策を講じたものと解されること。

(四) 更に、被告人は、当公判廷において、本件の告発を受けて弁護士に相談した際にも「受験はしたが、合格や入学は確認していない。」と説明した旨述べており、ここにも、被告人が明治大学に入学したという認識を持つていないことが窺われること。

(五) 被告人は、当初は「受験はしたが、入学手続は父親がしたのではつきりしない。」と、次いで「受験もしていない。」「願書も出していない。」と、民社党側や捜査官に説明し、入学していないことを認める供述をしていたのに、当公判廷では「受験はしていないが、有力者推薦入学により入学した。」と供述を三転させるに至つているが、この供述の変化及び供述内容の変化こそ、被告人が明治大学に入学していないことを被告人自身がよく認識していることを物語つているものといえること。

(六) 入学願書すら出していないとして明治大学入学の事実がないことを認める捜査段階の被告人の各供述調書は、明治大学中退の経歴を自称するに至つた経緯、学歴詐称についての弁解や心境の説明が誠に具体的に述べられており、前記1(二)における認定事実等にも符合し、十分に信用しうるものであること。

よつて、被告人は、平成三年当時、明治大学入学又は中退という自己の学歴が虚偽であることを十分認識していたものと認めるのが相当である。

二  学歴公表についての被告人の関与及び認識について

1 数通存在する経歴書作成の経緯、経歴書配布の状況及び選挙公報作成の経緯等に関し、当裁判所が認定した事実は以下のとおりである。

(一) 民社党が作成に関与した被告人に関する主な経歴書には、次のものがある。

(1) 平成三年八月六日に県連執行委員会において、討議資料として配布された経歴書(甲70の総合選対資料に在中の討議資料という記載のない経歴書であり、以下これを「第一の経歴書」という。)

(2) 同年八月二六日に、県連から党本部へ公認申請手続をする際、右公認申請書(甲54)に添付された経歴書(以下、これを「第二の経歴書」という。)

(3) 同年九月四日に県連に納品された、印刷された経歴書(甲64。以下、これを「第三の経歴書」という。)

(二) 第一の経歴書の作成経緯

(1) 平成三年七月下旬ころ、県連書記長Gは、県連委員長Hから、被告人が第一六回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から立候補することを承諾したとの話を聞いて、県連職員のBに対し、擁立決定のための県連執行委員会の開催準備及び討議資料等に使用する被告人の経歴書の作成を指示した。

(2) Bは、これを受けて、被告人の経歴を聴き取るため同人を電話で県連事務所に呼び出した。被告人は、そのころ県連事務所を訪れ、同所でBに対して自己の経歴を述べたが、その際、「昭和二八年三月二日蒲郡高校卒業、同年四月明治大学入学、昭和三〇年同大学中退後、NHK放送劇団に入団」という内容の学歴を述べた。

被告人は、右聴取が同人の経歴書作成のためであり、その経歴書の内容が、学歴を含めて、今後選挙公報その他選挙に用いられる各種文書の基となる重要なものであることを認識していた。

(3) Bは、被告人が右のとおり述べた経歴を聴き取つたメモ書きのほかにA事務所(被告人の経営する株式会社I。以下、「A事務所」という。)が作成したプロフィール(弁1ないしそれに類似したもの。以下、単に「プロフィール」という。)と被告人の著した二冊の本(甲103、106)のいずれかを参考に、罫紙に被告人の経歴書原稿を作成して、これを県連職員のJに手渡し、ワープロで浄書させた。これにより作成されたのが第一の経歴書である。

(4) 同年八月六日の県連執行委員会において、第一の経歴書が討議資料として配布され、ここで被告人の擁立が正式決定されるとともに、被告人は県連副委員長に選出された。

(三) 第二の経歴書の作成経緯

(1) 同月下旬ころ、Bは、今後の選挙用パンフレットや民社党本部への公認申請等に使用するための経歴書を作成するため、被告人を県連事務所に呼び出し、同所で同人に対しその旨を述べた上、第一の経歴書を見せて内容の再確認をしてもらつた。

被告人は、右経歴書に目を通した上、Bに対し、組合関係でも講演をしていることや、昭和六〇年前後に県の労働協会の依頼講師をしていた旨を述べた。

Bは、このことは民社党の支持母体との関係で選挙に有利になると判断し、確認を取つた上でこれを新たな経歴書に記載することにつき、その場で被告人の了解を得た。

しかし、この時、学歴の記載については、被告人から何ら訂正の申し出はなかつた。

(2) Bは、その後、直接県の労働協会に電話をかけて確認を取つた上、右第一の経歴書の昭和六〇年の欄及び現職欄などに加除訂正を加え、これを前記Jに手渡して再びワープロで浄書させ、第二の経歴書を作成した。

(3) 右第二の経歴書は、同月二六日、県連から党本部への公認申請手続の際、右公認申請書(甲54)に添付されて郵送された。

(四) 第三の経歴書の作成経緯

このころ、県連から名古屋市内の印刷会社に右第二の経歴書を原稿として、経歴書の印刷が発注された。この印刷された経歴書が第三の経歴書であり、平成三年九月四日に県連に納品された。

(五) 平成三年八月三一日の報道関係者に対する経歴書配布の状況

同年八月三一日、名古屋弥生会館において第一回総合選対会議が開催され、その後引き続き同会館において、被告人及び党役職者らが出席して、被告人の参議院議員選挙への出馬を表明する記者会見がなされた。

右記者会見の際、Bにより、被告人の経歴書が、予め記者席の各パイプ椅子の上に置かれ、又は直接手渡しする等の方法で、一〇数名の報道関係者に配布された。ここで配布された経歴書は、第三の経歴書のゲラ刷りのコピー(弁5と同内容の経歴書)であつた。

被告人らの前に置かれた長机の上にも右経歴書が置かれており、被告人はそれをその場で見ていた。

(六) 選挙公報掲載に至る経緯

(1) 同年一〇月ころ、マスコミ各社から県連事務所に対し、経歴調査票等による被告人の経歴の照会があり、Bは、被告人が明治大学のどの学部に入学したのかを電話でA事務所に問い合わせ、政経学部であるとの返答を得たので、右返答にしたがつて、調査票等の該当箇所を記入し、マスコミ各社に回答した(甲55ないし59)。

(2) Bは、平成四年二月か三月ころ、「中退」ではイメージが悪いと考え、選挙用リーフレット等の被告人の経歴欄の「中退」を「入学」と変更させることにし、以後、そのようなものが作成された。

(3) 平成四年六月中旬か下旬ころ、Bは、Gから立候補の届け出の準備をするようにとの指示を受け、選挙公報の掲載文の原稿を作成した。この原稿は被告人には見せていない。

(4) 同年七月八日の本件選挙公示日、Bは、愛知県選挙管理委員会において立候補の手続きをし、併せて、選挙公報掲載の申請をした。選挙公報掲載申請書(甲51)には、「昭和二八年四月明治大学政経学部入学」と被告人の経歴が記載された選挙公報掲載文原稿が添付された。

2 学歴伝達及び経歴書確認の事実を右のとおり認定した理由を詳述する。

(一) Bがプロフィール等を見ていたこと

(1) Bは、当公判廷において、被告人がB五版を相当小さくしたようなメモを持参し、それを見ながら口頭で述べた経歴を、自分が逐一メモに書き取り、そのメモを県連職員のJに手渡したのであり、プロフィールを見たことは全くなく、これらを参考にして経歴書を作成したものではない旨供述する。

しかし、プロフィール(弁1)と第一の経歴書とを比較すると、年月日の表示の仕方が例えば「S9・11・3」というように全て同一であるなど、レイアウトが酷似していること、第一の経歴書のうち、少なくとも昭和九年一一月三日の欄から、趣味、身長、体重の欄に至るまでの記載内容は、昭和二八年と同三〇年の学歴欄を除けば、全てプロフィールから抜粋が可能であり、右抜粋可能部分の表現は全く同一であること、昭和三九年の欄の「松本白嬰」(正しくは「松本白鸚」)、芸歴三五年の欄の「汽車は夜六時に着く」(正しくは「汽車は夜九時に着く」)、「民放祭芸術部門」(正しくは「民放祭芸能部門」)との誤字誤植までが同一であること等が認められ、第一の経歴書の現職欄の記載は、被告人の著した二冊の本(甲103、106)のカバーの記載から抜粋が可能であり、右抜粋可能部分の表現はほとんど同一であることが認められる。

また、第一の経歴書には、前記のように「汽車は夜六時に着く」と「民放祭芸術部門」とが誤つたまま記載されており、現職欄には「中日ドラゴンズ私設応援団連合会長」と右二冊の本のカバーの記載と同じように記載されているが(平成三年七月当時には被告人はこれをやめている。)、これらを被告人が口頭で伝えたのであれば、当然にその時に訂正されて然るべき箇所である。

以上からすると、Bは、第一の経歴書作成に際し、プロフィールと右二冊の本のカバーの記載のいずれか(なお、第一の経歴書の顔写真には、甲106の「Aちやんのかきかき人生」のカバーの写真をコピーしたものが用いられている。)を見て参考にしたことは間違いなく、これに反するBの供述部分は信用できないものと断定せざるを得ない。

(2) なお、弁護人は、当時A事務所の職員であつたK子がプロフィールを作成し、平成三年七月三〇日、Bからの電話依頼に応じて県連にファックス送信したものであると主張し、K子も当公判廷においてその旨供述する。

しかし、A事務所の業務日報(弁11)のうち同日欄の「プロフィール(党)FAX」という記載は、その書体、記載方法、記載位置等からして、K子本人が後に書き加えたものである疑いを完全に払拭することができないこと、同日は彦佐祭りの打合せに行くため急いでいたので事務所のL子にファックス送信を指示して出かけた旨のK子の供述は、彦佐祭りが同月二八日に終了していることからして不可解であること、県連事務所からA事務所に対し、労働協会や学部の問い合わせが同年八月三日にあつた旨のK子供述は、八月段階で政経学部の記載のある文書が作成されたことを窺わせるものは見当たらず、また、被告人の擁立を決める執行委員会が開かれる同月六日までに第一の経歴書の昭和六〇年の欄が労働協会の内容に差し替えられていて然るべきであるのにそうなつていないこと、労働協会の正式名称を民社党のBがA事務所に問い合わせるのもおかしなことであること等から不自然であり、右業務日報の同月三日欄も後にK子により加筆された疑いがないではないこと等、その信用性を疑わせる事情が少なからず認められるところであつて、かかるK子供述は、その内容をそのまま措信することはできない。

したがつて、プロフィールが平成三年七月三〇日にA事務所からファックスで県連に送付されたものとは認められない。

(3) 以上から、Bによるプロフィールの入手方法は不明であるが、右A子供述の信用性如何に拘らず、Bがプロフィール等を参考に第一の経歴書の草稿を作成したものとみるのが相当である。

(二) 七月下旬における口頭での伝達の事実

しかしながら、第一の経歴書の内容のほとんどがプロフィール等からの転記によつてできるとしても、そのこととBが被告人と会つて経歴を聴き取つたこととが矛盾するものではない。以下の理由から、被告人が平成三年七月下旬ころ、県連事務所において、Bに対して自己の学歴を口頭で述べた事実を認定するものである。

(1) 第一の経歴書の作成における被告人の関与

そもそも、私人の経歴は本人のみがよく知り、かつ関心のあるところであるから、選挙における経歴書を本人の全く関知しないところで完成し、世間に公表することは通常では考えられないものであるところ、第一の経歴書の「昭和二八年三月二日愛知県立蒲郡高校卒業、昭和三〇年明治大学中退」という記載は、前記プロフィールと被告人の二冊の著書、更には弁護人の主張するところのK子の関与のみによつて作成することは不可能である。つまり、K子は、当公判廷で被告人の高校の卒業年度さえ知らなかつた旨供述しており、殊に高校の卒業月日が三月「二日」であることは、被告人の身辺では被告人のみが述べ得ることである。したがつて、被告人が、遅くとも平成三年八月六日より前に、第一の経歴書の作成に何らかの形で関与していた可能性は極めて高いといわざるを得ない。

(2) B証言及び被告人の捜査段階における自白の信用性

ア Bの供述は、捜査段階と公判段階とで被告人がメモを見ながら経歴を述べたか否かにつき相違していたり、被告人が口頭で述べたという学歴の内容に若干の相違があつたり(甲114、118、119、公判主尋問、反対尋問、補充尋問)、あるいは前記(一)(1)で指摘したように明らかに信用できない部分もあるが、平成三年七月下旬ころ、被告人に県連事務所に来て貰つて直接会つて口頭で聞いたこと(甲114、116、117、118、119、公判供述)、メモ書きを県連職員(Jか女子職員かの違いはあるが、この点は本質的なところではないので問題としない。)に渡してワープロ浄書させたこと(甲114、116、118、119、公判供述)については終始一貫している。

イ また、被告人の捜査段階における自白も、口頭で述べたという学歴の内容に若干の相違があり(乙2、4)、口頭で述べた状況について不自然な供述もあるが(乙4)、平成三年七月下旬ころ、Bから県連事務所に来てもらいたい旨の連絡を受け、県連事務所でBから「経歴書を作るので、プロフィールを教えて下さい。」と言われ、口頭で学歴を話したという点では終始一貫しており(乙2、乙4、乙13)、あえて嘘の学歴を述べた動機やその後学歴の訂正をすることができなかつたことの心理的葛藤など、被告人でなければ吐露し得ない心情が客観的事情とともに詳しく述べられている(乙2)。

ウ したがつて、被告人が七月下旬ころ県連事務所でBに口頭で学歴を述べたという点に関するB供述及び被告人の捜査段階における自白は、十分措信し得るところである。

(3) 口頭での学歴伝達を否定する被告人の公判供述の不合理性

ア 弁護人は、口頭の学歴伝達を認める被告人とBの捜査段階における供述は、前記「事務方のミス」という虚偽の口裏合わせによる供述と同様、虚偽の口裏合わせの結果なされた虚偽の供述であつて、被告人がBに口頭で学歴を伝達したという事実は存在しないと主張し、被告人も当公判廷でその旨供述するに至つているので、この点について判断する。

イ 被告人の本件に関する平成五年六月ころ以降の供述状況等は以下のとおりである。

a 被告人は、平成五年六月一六日段階で、検察官の取調べで明治大学受験の事実のないことを自白し(乙6)、次いで、同月二二又は二三日ころ、Gに対して明治大学受験の事実のないことを告げ、同人よりその場で議員辞職を勧告され、この段階で民社党から切り捨てられた状態となつた。

b 被告人は、同月二五日の検察官に対する供述において「事務方のミス」という口裏合わせを暗に自白し(乙8)、同年七月一九日には、明白に右口裏合わせを認めるに至つているが(乙9)、その後の同月二七日においても、Bに対して口頭で学歴を述べたと供述しており(乙13)、しかも、それが口裏合わせの内容であるから嘘だと思いながらも検事に対しそのように供述していたと公判廷で述べている。

c 被告人は、同年八月ころには、民社党の弁護士とも完全に決別して新たな弁護士に相談した上、従前の供述を訂正するため、有力者推薦入学の事実を述べた陳述書を検察庁に提出した(弁26)。そこでは経歴を口頭で述べたことを訂正する申立てはなされていない。

ウ そこで、検討するに、もし、口頭で経歴を述べたことが嘘であるなら、被告人は、右イbのように口裏合わせを自白した段階で、口頭で経歴を述べたという自白も嘘であつたと告白してよいはずである。しかし、当公判廷に至るまでそのような告白をしておらず、かつ、告白しなかつたことについて納得できる合理的な説明をしていない。

また、被告人は、Bらとの口裏合わせの段階で、学歴詐称の発生日時の特定が捜査官の関心事であり、平成三年七月下旬ころの口頭での学歴の伝達が問題になつていたことを認識していたのであるから(弁7の「学歴詐称とスイス問題」と題する書面。以下、「弁7の書面」という。)、もし、真実は口頭での伝達がなかつたというならば、遅くとも右イcのころには、そのことを新たな弁護士に述べ、その結果、そのような趣旨の申立てがなされてもよいはずであるのに、そのようなことはなされていない。

被告人には、右イaないしcのように状況の変化があり、そのいずれの段階においても、口頭での伝達について訂正を申し立てる機会が十分あつたにも拘らず、当公判廷に至るまで、この点についてだけは民社党側との虚偽の口裏合わせに義理立てして真実を述べなかつたというのは、いかにも信用し難いことである。

エ したがつて、この点について虚偽の口裏合わせがあつたというのは不自然であり、被告人の口頭での学歴伝達を否定する公判供述は不合理と解するほかはなく、弁護人の主張は認められない。

(4) 口裏合わせの存在について

ところで、確かに弁護人の主張するように、平成四年八月ころ、捜査官による取調べ対策として、弁7の書面を基に具体的な口裏合わせがなされたことは認められる。

しかし、弁7の書面の記載中には客観的事実が多数含まれており、そこに記載されているからといつて必ずしも虚偽とは断じ難い。右書面の一枚目にある「県警は学歴詐称が発生した日時を特定したい」という記載は、「七月中旬頃県連でAさんからBが口頭で聞き経歴書を作成したと供述した」という記載と線で結び付けられているが、このような記載から、口頭での伝達が虚偽の口裏合わせの内容であつたと即断することはできない。むしろ、右記載を見る限りでは、被告人が学歴を民社党に初めて述べた時期を特定する記載に過ぎないと解される。

仮に、口頭での伝達に関して何らかの口裏合わせがあつたとすると、被告人と民社党双方の利益のために、例えば「被告人が経歴について関与したのは七月中旬(下旬)の口頭での伝達一回のみであり、しかも、口頭のみによつて伝達された。」といつた内容の口裏合わせが民社党主導で行われたとしてもおかしくなく、このような口裏合わせがあつたと解すると、被告人とBの捜査段階の供述の不自然な点の多くは説明がつく。しかし、これとて、あくまで被告人がBに学歴を口頭で述べたことを前提とするものであり、結局のところ、口頭での伝達自体は事実であつたと判断するほかないところである。

(5) 結論

以上から、1(二)(2)前段のとおり、七月下旬ころの口頭での学歴伝達の事実が認められる。

(三) 八月下旬ころにおける経歴書確認の事実の存在

1(三)に摘示した第二の経歴書作成の経緯に関する事実は、Bの当公判廷における供述に基づいて認定したものであるが、右B証言は以下のとおり信用し得るものである。

(1)確かに、かかるBの供述は、当公判廷で初めて出てきたものであり、捜査段階ではむしろ経歴書確認の事実を否定するか(甲117、118)又は全く触れていないところである。しかし、これは、Bが捜査段階においては、民社党の選挙関係の機密を含む総合選対資料(甲70)を隠したいがために、その中に綴られている第一の経歴書の存在をも隠し、これがないことを前提に第二の経歴書を最初の経歴書であると偽つて供述していたことによるものである。このような理由により、前田は八月下旬の確認の事実を申し述べることができなかつたのであり、前記B供述の変化故にその公判供述に信用性がないとすることはできない。

(2) 第一の経歴書と第二の経歴書の内容を比較すると、前者の昭和六〇年及び昭和六三年の芸歴が削除され、後者の昭和六〇年の欄には県労働協会の依頼講師のことが記載されているほか、後者の現職欄に民社党愛知県連副委員長の記載が加えられているが、このうち、昭和六〇年欄の変更は、被告人の関与なしには考えられないところである。

また、被告人も当公判廷において、時期は覚えていないが雑談でその旨伝えたことがある旨供述しており、被告人自身が労働協会の話をしたが故に右記載の変更がなされたと見ることができる。

(3) A事務所の業務日報(弁11)には、平成三年八月一九日欄の次の頁に、「24日(土)県連打合」という記載があるが、これは被告人がこのころ県連事務所に赴いたことを窺わせるものであつて、右B証言を裏付けるものである。

したがつて、第二の経歴書の前に第一の経歴書が存在したことが明らかになつた公判段階で、被告人から聴き取つてできた第一の経歴書を再び被告人に見せて修正し、第二の経歴書を完成させたというB供述は、合理的かつ常識的であつて十分措信し得るものである。

なお、K子は、当公判廷において、平成三年八月三日に電話でBから労働協会についての問い合わせがあつた旨供述するが、前記のとおりK子供述は措信できないから、これにより八月下旬における被告人による経歴書確認の事実の認定が妨げられるものではない。

(四) その他の被告人による経歴への関与の可能性

(1) 第二の経歴書から第三の経歴書まで

この時期、第二の経歴書から第三の経歴書のゲラ刷りを経て第三の経歴書が作成されているが、

ア 第二の経歴書から第三の経歴書のゲラ刷りに至る間、前者にあつた「中日ドラゴンズ私設応援団連合会長」の記載が、後者においては削除されていること

イ 第三の経歴書のゲラ刷りから第三の経歴書に至る間、後者の平成二年の欄には、前者にない「NHK銀河ドラマ等に出演」が付加されており、また、後者の「芸歴三五年」の欄において、それまで「汽車は夜六時に着く」となつていたテレビドラマの題名が、「汽車は夜九時に着く」と訂正されていること

等が文面上認められる。これらの変更は必ずしも被告人のみがなし得るとは断定できず、被告人の前記著書(甲103、106)を詳しく読めば、右銀河ドラマの箇所を除いて、Bでも変更が不可能ではない。しかし、Bとて、被告人に確認しなければいずれが正しいか判らない点もあるから、この点においても被告人が経歴書の作成に関与した可能性は濃厚である。

(2) マスコミへの経歴票等には、小中学校からの経歴の記録があるが、国民学校や中学校の名前はA事務所の従業員らの知るところではなく、被告人しか知らないことであるから、これらにつき県連事務所からA事務所への問い合わせに返答ができるのは、被告人以外にあり得ないと思われ、当公判廷において被告人自身もこのような問い合わせに自ら返答したことを認めているところであつて、ここにも経歴に関する被告人自身の関与が認められる。

(3) 前記業務日報(弁11)の平成三年九月三日欄には、「略歴書を書くこと」というメモ書きがあり、これは、被告人の筆跡と思われることから、そのころ、被告人が自己の略歴書を作成することもあつたことが窺われる。

(4) 右(1)ないし(3)のうち、(1)ア以外は、判示第一の事実と直接関係はないが、これらの事情は、被告人による学歴の口頭伝達と確認の事実を推認させる一要素にはなり得るものであり、また、経歴公表への関与を一切否定する被告人の公判供述の信用性を減殺するに十分な事情であると認められる。

(五) 学歴公表についての被告人の認識について

(1) Bは、七月下旬の口頭での伝達の際、被告人に対し、被告人の経歴書の内容が今後選挙用の諸文書に使われる重要なものであることを説明した旨述べるところ、初対面のBが被告人に対して理由も言わずにいきなり経歴等を聞くことは考え難いことから、右供述は信用してよいと判断されるが、それは別にしても、県連と被告人とは参議院議員選挙を除けば何の関係もないのであるから、県連側が被告人の経歴書を作るといえば、右選挙のためであることは当然被告人にも理解しうること、被告人はかねてから選挙や政治家になることに関心があり、自民党から衆議院議員選挙への出馬要請を受けたり、個人の選挙の応援演説をしたりしていたのであるから、経歴書の意義を知らないというのも不自然であること等から、選挙において自己の学歴が広く公表されるものと認識した上で、これをBに口頭で伝達したものと認められる。

(2) また、被告人は、捜査段階の当初においては、平成三年八月三一日に弥生会館で行われた記者会見の際、机の上に置かれていた経歴書について触れていなかつたが(乙2)、捜査終結のころには、「その場で目を通した。」と述べるに至つているところ(乙12)、この供述は、その内容及び供述全般の変遷に鑑み措信しうるものである。

被告人は、当公判廷において、自分の経歴書を見ていないから、そこに学歴が書かれていることを知らなかつた旨述べるが、自分自身及び自分自身が他人からどう見られているかに関心のない人間がいるはずはなく、自分の経歴書が作成されたことを知りながら、それを読まないでいることは特段の事情のない限り考えられないから、参議院議院選挙に初出馬する被告人のために初めて作成された経歴書を読まなかつたという被告人の弁解は到底措信し得るものではない。

(3) したがつて、学歴公表についての被告人の認識は十分認められる。

(4) なお、本件では間接正犯という形態で実行行為が行われているが、虚偽事項の公表罪において間接正犯が成立するためには、利用者が被利用者に虚偽事項を述べるに際し、当該選挙において、その虚偽事項が被利用者を介して何らかの形で公表されることを認識認容していれば足りるものであり、いつ、どこで、どのようにしてその虚偽事項が公表されるかを具体的に認識することが要求されるものではない。まして、本件のように政党による選挙運動が組織的に行われる場合の特殊性を考慮に入れると、必ずしも利用者が個々の被利用者に対する個別的行為支配性を有する必要はなく、概括的行為支配性があれば足り、利用者である被告人が民社党の組織に乗つて選挙運動をする意思を有し、かつ、自己の経歴がその選挙のために使用されることを認識認容して右組織に経歴を伝達すれば足りるものと解される。そして、被告人が右のような意思と認識を有していたことは、証拠上明らかである。

三  当選を得る目的の有無

虚偽事項の公表罪は、当選を得る目的を必要とする目的犯であるが、右目的は未必的に認識認容することで足りるものと解される。

しかるところ、現実の社会状況からして、選挙に際し、大学に行つたことがないのに、さも大学に行つたことがあるように学歴を詐称することは、実際の自分よりも経歴において自己を過大に表現し、より有利な評価を得て投票を集めようとするものであつて、当選を目的とした行動であることは明らかであり、被告人もそのことを十分理解していたと判断するのが相当であるから、学歴公表の方法を具体的に認識していなくとも、自己の経歴が選挙のために広く使われ公表されることを十分認識した上、大学入学中退を詐称した以上、当選目的についての認識に欠けるものではない。

よつて、当選を得る目的はあつたものと認められる。

第二  判示第二の事実について

一  スイス留学は公職選挙法二三五条一項にいう「経歴」に含まれるか

公職選挙法二三五条一項の規定の趣旨は、選挙人が誰に投票すべきかを判断するに際し、候補者についての正しい判断資料が提供されることが必要であるというところにある。そうであると、公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者の過去の行動や事跡等その者が経験した事項であつて、かつ、選挙人の投票行動に影響を与える可能性のある事項が、同条項にいう「経歴」に該当するものと解される。

本件の「中学生当時、公費の海外留学生に選ばれ、スイスで半年間ボランティアの勉強をした。」という事実は、公職の候補者の過去の行動に関する事項であり、かつ、昭和二四年当時はもとより現在でも珍しいことであり、高い社会的評価を受ける経験事項といえる。加えて、本件選挙における被告人のスローガンの一つである福祉政策の充実を強調する際に、被告人の過去の実績として述べられていることをも考慮すると、スイス留学の事実は、選挙人の投票の際の判断に影響を及ぼす可能性があることは明らかであるから、同条項の「経歴」に該当する。

二  虚偽性の認識の有無

客観的にスイス留学の事実が認められず、しかも、そのことは被告人自身が最もよく知つている事柄である以上、特段の事情のない限り、本件演説をした被告人には虚偽性の認識に欠けるところはない。選挙期間中被告人が過密スケジュールに追われており、選挙戦が民社党主導でなされた等の事情は証拠上認められるが、これらはいずれも右特段の事情とは認められない。

被告人は、選挙戦において、当該演説の他にも、スイス留学に関する同内容の演説を複数回なしているばかりでなく、判示演説以前の新聞記者とのインタビューにおいても、同趣旨のことを述べていることが窺われるのであつて(前記弁7の書面、甲73の平成三年七月一〇日付け毎日新聞朝刊等)、疲労の極に達してつい口が弾んだ旨の弁解は到底認められない。

三  当選を得る目的の有無

本件のスイス留学演説は、被告人が福祉政策の充実を選挙公約に掲げ、自己の青少年時代からの福祉活動の実績を強調する一環としてなされたものであること、中学生の公費スイス留学は、前記のとおり高い社会的評価を受け得るものであること、被告人もそのように考えたからこそ、かかる虚言を弄したものと判断されること等からすると、被告人は、当選を得る目的でスイス留学についての演説をしたものと認定するのが相当である。

もつとも、平成四年七月一六日になされた本件政談演説会は、別名「一区連総決起集会」であり、その聴衆は民社党関係者及び同党の支持者らがほとんどであつたことも認められる。しかしながら、本件集会は、公示後の選挙期間中になされたものであり、聴衆である支援者らに候補者の政策、力量、人柄、見識等を強く訴えて内部の票固めをするとともに、更にその人々の周囲の者への働きかけによつて支援の輪を拡大することを目的とし、しかも、会場内でマスコミのカメラ取材を許していること等が認められる。そうであると、聴衆がたまたま支援者であつた等の事情は、何ら当選を得る目的を認めることの妨げにはならない。

第三  公訴権濫用の主張について

一般論として、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合があり得ることは認められるが、検察官に対し広範な訴追裁量権を認める現行法制下において、そのような場合とは、例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解すべきところ(昭和五五年一二月一七日最高裁判所第一小法廷決定・刑集三四巻七号六七二頁参照)、本件が右のような場合に該当しないことはいうまでもない。

政治に対する国民の意識が高まり、政治家の嘘に対する批判も厳しい昨今、学歴などの経歴を詐称したとして国民からの告発を受け、捜査の結果、検察官が有罪にできる十分な証拠を入手したと判断して起訴したからといつて、何ら公訴権の濫用に該当しないのは当然である。

よつて、公訴権濫用の主張は認められない。

第四  公職選挙法二五三条の二の合憲性

弁護人は、いわゆる百日裁判を定めた公職選挙法二五三条の二の規定(以下、「本規定」という。)は、憲法一四条、三七条一項及び同条二項に違反すると主張する。

しかし、本規定の趣旨は、公職選挙法二五一条、同条の二等による当選無効の原因となり得る選挙違反事件について、選挙の結果を速やかに安定させ、右当選無効制度を実効あらしめようというところにあり、そのために、特に他の事件に優先して審理、判決すべきことを要請しているものであるから、合理的根拠があるものであつて、裁判が粗漏、拙速に流れ被告人の防御権を不当に制限することを許すものでもなく、憲法一四条に違反しない。また、憲法三七条一項の「公平な裁判所の裁判」は、偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもつた裁判所による裁判を意味するものであるから、弁護人の主張する「証拠に基づく真実の発見」の要請は同条項に関する問題ではなく、本規定は憲法三七条一項に違反するものではない。更に、本規定は、裁判所がその必要を認めて尋問を許可した証人に対する審問の機会を奪う趣旨のものではないから、憲法三七条二項にも違反しない(昭和三六年六月二八日最高裁判所大法廷判決・刑集一五巻六号一〇一五頁参照)。

以上、いずれの意味においても、本規定及び本件事件処理は憲法一四条、三七条一項、二項に違反するものではない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一、二(以上は包括一罪)、第二の各所為はそれぞれ公職選挙法二三五条一項に該当するので、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲で出被告人を禁錮六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(求刑禁錮六月)

(裁判長裁判官 笹本忠男 裁判官 後藤真理子 裁判官 上杉英司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例